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台灣現代藝術序幕系列四:姚瑞中個展


展期: 1998-08-25 ~ 1998-09-26
開幕: 1998-08-25
展場: 日本福岡市MOMA畫廊

3つのアイデンティティ探しの旅 最終章   姚瑞中 天下為公行動                     岩切みお  姚瑞中の眼の奥には二つの要素が同居する。

一種怒りの混じったナイーブな生真面目さと、ばかばかしい冗談をつぎつぎと並べたてる明るさ。常にその両極を行き来する姚の1994年の本土占領行動に始まる行動三部曲は、彼のアイデンティティ探しの旅の記録である。  1994年、最初の旅本土占領行動で、姚瑞中は台湾のあらゆる場所でおしっこをした。 オランダや清朝、日本などの植民地支配に関する歴史的な場所でのマーキング。理性的に歴史を分析するのではなく、もっと本能的に自分の居場所を探し出したいと、その動物的な行為を繰り返すうちに、姚はある直感的な答えを得た。それは自分は「台湾人」ではないというものだ。それだけではない。 「台湾人」などはじめから居ない。誰もがみな大陸からの移民だ。 もとからここにいる台湾の原住民も「台湾人」ではなく、それぞれ彼ら自身の呼び名を持っている。  台湾で生まれ育った自分が「台湾人」でないなら、いったい何者なのだろう。この疑問を抱いたまま、姚は中国大陸へと渡る。そこは彼の父親が生まれた土地だ。しかし、大陸でも結局、自らを異邦人だと感じることになった。その時制作された反攻大陸行動(1996年)は、台湾の国民党の、大陸の奪還という長年の目標を皮肉るものであるが、その中で彼はいつもひとり、こわばった直立不動の姿勢のままそこに立つ。 よく見ると足が宙に浮いている。まるで合成写真のように不自然に見えるこのシリーズは、実際は姚がその地でジャンプしている一瞬を狙って撮られた。この作品を作るプロセスの中での「跳ぶ」という行為は、象徴的だ。どこか新しい地平へのジャンプ。しかし、その一瞬後にはむなしく同地点へ着地することになる。それは、姚自身が、この解決不能なアイデンティティの問題へと繰り返し戻っていくこととも重なる。  そして最後の旅、天下為公行動で、姚は世界中のチャイナタウンを訪れる。その門の前で投降する男。誰に向かってか?男を見つめる視線の主は、警官であり、権力であり、その土地に住むマジョリティでもある。そこに立つ姚は、もはや誰にもアイデンティティを問われることなどない。そこがいったい何系のチャイナタウンなのか。広東系か、大陸系か、台湾系か。一体彼はそこの出身なのか。彼自身それをどう捉えているのか。そんなものは、外部の人間には関係ない。この視線のもとでは、どんな差異も無きものにされ、姚は中国系の人間というひとまとまりの集団に否応なしに属させられてしまう。 姚は、そこであらたな問題に直面する。ここでは、どのコミュニティに自身をアイデンティファイさせるかということよりも、どのコミュニティにもアイデンティファイされないことのほうが、はるかに難しいのだ。その土地の言語を話さない、汚い、不法入国者、マフィアなどの「中国人」に対するあらゆるステレオタイプのイメージ、それらを結び付けられたら最後、それから逃れるのは至難の業だ。この外部からの視線、権力を孕んだ視線の前で、姚はなすすべもなく、何度も何度も手を挙げ、降参し続ける。  しかし、このシリーズのなかで、一枚だけ趣の違うものがある。それは、台湾の中正記念堂の前での1ショットだ。姚はここでは一人ではなく、たくさんの外国人たちと一緒に手を挙げる。みな楽しそうににこにこしている。  このバージョンは、若者を中心にベストセラーになった姚ら若い世代のクリエイターたち共著の『台北に住む100の理由』(1998年)という本にも登場する。その同じページで中正記念堂は「蒋介石を神のようにまつった、台北のまんなかにある巨大で奇怪な廟」であると説明される。それは、台湾の人々の精神的な中枢に位置するものとして意図され建造されているはずなのだが、しかし姚たちはこの存在をどこか「オカシイ」と感じている。そこに本当に精神的な拠り所を感じることが出来るのか。実際は、台湾にはもっと複雑な歴史があり、ここ50年そこそこの国の指導部に、その指導者に、心から耽溺など出来るわけがない。周知のとおり、国民党が永年の独裁を終え、今年の春、民進党へと政権をバトンタッチしたことは、そのことを証明するに十分だ。  姚はこの天下為公行動で、今この世界で誰もが直面せざるをえない「他者からの視線」という問題を扱った。そして中でも中正記念堂の作品に「これからの新しい自己のありかた」の登場を、ここ台湾に託す彼の希望を感じることができる。中国系の人間、いわゆる「華人」としてコミュニティを閉じていくのではなく、もっと広がりを持つこと。すでに、植民地化などによって様々な文化を受け入れてきたという経緯を持つ台湾で、あらゆる文化に属するひとびとが、無数のアイデンティティのかたちを持つ。そうして、誰もが明るく笑って我が身に突き刺す「他者からの視線」をかわすことが出来るようになる日が来る。6年の歳月をかけた姚のこの旅は、そんなビジョンを獲得し、一応の終結をみた。